No.86 沢山のお陰様
2009年09月01日(火)
前回の「よろこび」で書かせて頂きました主人の手術ですが、その後お蔭様で順調に回復してきております。手術の前、結構長らく痛み(特に右足)があり動きにくい、動けない期間がありました。術後リハビリをはじめましたが、普通に歩けるまでにはかなりの日数がかかりました。
廃用性萎縮というようですが、身体の使わない部分は短期間に萎縮して弱ってしまうようです。体力、筋力はもとより思考力もしばらくの入院、加療中に低下したようです。しかし、沢山の皆様にお世話になったそのお蔭で今は普通の生活ができるようになりました。本当に有り難く、感謝の気持ちでいっぱいです。
主人は以前から、寝る前と朝起きた時に30分~50分位私にマッサージをしてくれます。そのお蔭で私は寝付きがよく、また朝も楽に一日のスタートをきることが出来て助かっています。
今回の手術後も、色々考えるところ(家族の有り難さ等)があったようで今までしたことがなかった食器洗いを日に何度もしてくれたり、部屋の片付けをしてくれるようになりました。家族皆が働いておりますので私も「本当に助かります」「ありがとうございます」と声をかけます。
「ささいな心の不満」
本当にもったいない程の幸せを頂いておりますが、時として私の心に不満や主人を責める心が出てくることがあります。仕事で疲れた時などに、ほんのちょっとした言葉じりに引っかかって不機嫌になってしまったりします。
先日も朝のマッサージをしてもらっている時に主人がテレビをつけました。私はすかさず「音をずーっと小さくして下さいね」と言いました。その時主人が「いつも小さくしているよ」と言ったのですが、その言葉にちょっと気にくわない雰囲気を感じ取った私は「もーいいです!」と言ってしまいました。
このように、ほんの些細なことに不満を感じてしまっていることに「心しないといけないな」と反省しました。
「ホ・オポノポノ」
先頃、ある先輩から頂いた「ホ・オポノポノ」(滝澤朋子著、近藤洋一監修)という小冊子の中の一節に、「イエスの道」というところがありました。どんなことが起こっても否定しない、「ノー」とは言わない。ただ起こることすべてを肯定し、「イエス」で行く、それだけです。何かいやなことがあれば即座に「ありがとう」「愛しています」(心の中で)と言えばいい。そうすれば「ノー」が顔を出す余地がない。と書いてありました。
いかに日々の暮らしの中で否定、「ノーの道」を歩んでいるかに気づかされ、身体に電流が走る思いがしました。
伴枝
