No.84 家風
2009年07月01日(水)
「祖母と私」
私は、昭和20年1月に土屋家の次男として生まれました。姉、姉、兄、私、弟の5人ですので、私は4番目となります。
私の家は農業もしていましたが、代々「社家」(神主の家)として続いて来ていました。(私は神主は継ぎませんでしたが)「農家」にしても、「社家」にしても、以前は長男が後続することが至極当然のこととされていました。2歳上の兄が生まれたときには、氏子の皆さんから、「神主が生まれた」とお祝いの宴が開かれ、一同大喜びだったと聞いています。次男の私が生れた時は何も無かったのは当然ですね。兄自身も「自分は神主になる」と子どもの頃から心に決めていたようでした。
月日は流れて、兄が高校を卒業したとき、養鶏の先進地に1年の予定で研修に住み込みで行きました。間もなく研修期間が終わろうかと云うとき、我が家では「もうすぐ息子が帰ってくる」と心待ちにしていました。そこへ、研修先から「家は娘だけなので、是非お宅の息子さんを養子に欲しい」との申し出があり、我が家では親族会議を開くなど大騒ぎとなりました。
当時、すでに私は住友電工の養成工として就職し、働きながら学んでいました。都会の生活に憧れ、また大企業への就職が出来たことに、私も家族もとても喜んでいましたが、2年3年と経つと都会暮らしのマイナス面も目に付きだしたりして「田舎の暮らしも好いかも」と思ったりしていました。そんなタイミングの時、母からの手紙で兄の養子の件を聞き「本人同士が一番だから、そういう事情なら私が替わりに帰ります」と返事の手紙を書きました。
そんな縁で私が我が家の後継者となりました。しかし、帰郷する前に一つ気がかりなことが有りました。それは、私の祖母が(明治半ば生まれ)長男である兄を跡継ぎとして、とても可愛がっていたことでした。いきなり私に跡継ぎが変わってしまってうまくいくだろうかと少し心配したのですが、全く杞憂に終わり、私のこともとても大事にしてくれ、また頼りにしてくれました。
そんな事情で、たまたま私は兄と後継者を交替したのですが、この祖母は私の息子(今、二代目便りを書いている卓也)が4歳5歳の頃から「お前はツチヤ養鶏の跡取りだからね」と口癖のように言っていました。5歳の息子もその気になっており、機嫌が悪くなると「僕は大人になってもスーパーに卵の配達をして上げないから!!」と言って私達を笑わせてくれていました。
「親の老後」
小児科医の田下昌明著「家族を考える」の中に子供が5歳の時に親の老後の話を必ずして下さい。「お父さんお母さんは今は元気にこうやっているけど、年を取って動けなくなって寝たきりになったらどうする?」と。すると、ほとんどの子供が、ドンと胸を叩いて「任せなさい。僕が食べさせて上げる」と言うでしょう。自分が年を取ったら「自分で何とかするからお前達の世話にはならないよ」と絶対に言ってはいけません。と書いてありました。
私はこれを読んで昔の人のしっかりとした、ものの考え方に感服しました。我が家も祖母のお蔭で息子は何の疑問も持たず後継者になってくれたのではと、祖母の恩の大きさに感謝しています。
土屋 卓夫
